日体運動場にて優勝記念写真
後列 鬼沢、?、三木、富川、村上、馬場先生、岸、八隅、山名、西村、?
前列 黒田、宮崎、 桂、 小中、 吉村、 平岡、 泉谷
国体初出場に全生徒が応援に駆けつけた (昭和21年 西宮球技場にて) |
白のTの人文字で応援する豊中応援団 (昭和21年 西宮球技場にて) |
優勝メンバー 左から堀尾、佐伯、斉藤、萬石、小袋先生、勝、梅垣、北村、国重、渡辺、熊倉、土田 | 表彰状を受ける北村主将 |
西日本大会に優勝のメンバー(昭和22年) | 数々の優勝旗・盾を手に卒業記念(昭和23年) |
昭和22(1947)年9月20日 豊陵新聞 第8号
47年夏、前年秋の第1回国民体育大会ハンドボールの決勝の優勝を争った岡山県倉敷工高チームが親善試合に本校を訪れた。 そのときの応援席での「ヤジ合戦」の模様を報じた見出しが「ナンバ粉」対「保有米」。 試合・応援ともにナンバ粉が保有米を破った。 戦後の食糧不足でナンバ粉(トウモロコシの粉)を小麦粉と混ぜて苦心してパンにして食べている「都会チーム」(本校)と、穀倉地帯にあって「保有米」(農家が国に供出した残りの自家保有の米)を十分に食べている「農村チーム」(倉敷)との大戦という意味を簡潔に表現した見出しと今でも新聞仲間の話題に残る。 当時演劇部の上演でアドリブに「ナンバ粉」が話題になったという話もある。
昭和21年から平成15年までの戦績は下記をクリックするとご覧になれます
各ブロック大会優勝チーム一覧(昭和54年〜平成15年)は下表をクリックすると拡大してご覧になれます
大会は 藤井寺の大阪ハンドボール競技場で高松宮殿下を迎えて開催され 本校朝日 薫主将が代表として宣誓した。 なお 自治会では夏季休暇中であるため全生徒に葉書を送って応援を呼び掛けた。
長尾 吉田 奥野 中子 小寺 槙田 寺村 森島 朝日 森 榎原 |
豊中中学は全校生徒が応援に駆けつけた |
三年 中村武人 小寺 登
二年 片岡正次 平 良明 中島 徹 崎山英明 今西金幸
森広太郎 山路洋平 上原道也 佐藤昌弘
一年 上田達成 村上 正 浅野新一
大阪大会では右の優勝旗を獲得したが、西日本選手権では実力発揮できず
府民大会・全日本高校選手権・国体予選・近畿総体・西日本の5大会に優勝した
左から後列 村中、草井、上田、本田、平良、中島、瀬恒 村上 前列 片岡、上原、今西、佐藤、森 、浅野、崎山
昭和27年10月19日〜23日 福島県福島市
2回戦 豊中 12−5 安積(福島)
準々決勝 豊中 5−5 山口(山口) 延長引き分け。 抽選で山口の勝ち
エピソード 高松宮妃殿下インタビュー (1974年8月) 高松宮妃殿下は日本ハンドボール協会の名誉総裁でもあられた。 豊陵新聞は、同協会副会長だった馬場太郎先生の「さりげない取りなし」で、 高松宮殿下・妃殿下にそれぞれ取材インタビューしてそのつど記事を掲載した。 この記事は、1954年(昭和29)8月藤井寺球場での全国高校ハンドボール大会決勝戦で、 豊中高校が愛知・桜台高に敗れた後に行われた時のもの。 高校生記者団は「あがってしもうて、トンチンカンな質問もしたが、 妃殿下は楽しそうに笑われながらきちんと答えてくださった」というのが当時の思い出である。
昭和28年10月22日〜26日 愛媛県今治市
2回戦 豊中 11−4 和歌山商(和歌山)
準々決勝 豊中 9−7 彦根東(滋賀)
準決勝 豊中 4−5 函館工(北海道)
三位決定戦 豊中 3−2 岩国工(山口)
昭和29年8月22日〜26日 北海道函館市
1回戦 豊中 9−3 山口(山口)
2回戦 豊中 11−5 世田谷工(東京)
準決勝 豊中 11−9 函館工(北海道)
決勝 豊中 7−9 済々黌(熊本)
第9回国体(北海道)は函館で行われ、決勝戦に進出したが9−7で惜敗 この試合、熊本・済々黌のただ一人の選手のシュートで全得点を 奪われたことを深江氏は今も口惜しがっている。
神奈川県平塚市 昭和30年10月31日〜11月3日
昭和30年10月31日 高校9期 富川 健氏 送球日誌
昭和23年創設の女子ハンドボール部は次の時代への基礎固めの段階 後輩活躍の源となった努力が、小引さんの秩父宮記念大阪府体育振興会からの表彰につながった。
昭和29年12月26日〜28日 大阪府立体育会館
1回戦 豊中 0−5 都南ク(大阪)
女子ハンドボール部(8・9期生 昭和31年・32年卒業)
後列左から 野本 高津 山本 上原
前列左から 杉本 小引 上島 栗山 奥津
新小引主将率いる新チームハンドボール |
表彰状 大阪府立豊中高等学校 小引照子
秩父宮記念大阪府体育振興会 昭和31年3月1日
昭和31年10月28日〜11月1日 兵庫県加古川市
準々決勝 豊中 10−5 津山(岡山)
準決勝 豊中 9−7 函館工(北海道)
決勝 豊中 11−12 桜台(愛知)
第4回世界室内選手権及びヨーロッパ転戦の詳細は写真をクリックするとごらんになれます
全国大会大阪予選、国体予選(高校総体)、近畿高校選手権、 近畿総合国体予選、大阪高校新人戦の5大会に優勝した
左から 小山紀子、関富美恵、岡本葵、住田勝子、飯田節子、岩津友巳
昭和38年度女子ハンドボールを支えた20人
昭和38年10月28日〜11月1日 山口県徳山市
準々決勝 豊中 11−7 水海道二(茨城)
準決勝 豊中 4−13 徳山(山口)
三位決定戦 豊中 3−8 山陽女(広島)
8月4日〜9日 山梨県富士吉田市
1回戦 豊中 18−0 川崎市立(神奈川)
2回戦 豊中 4−16 静岡城北(静岡)・・・(優勝校)
このユニフォームで女子ハンドボール部は大阪で優勝し初出場の国体で活躍した 高14期 井上(磯井)弘子さん提供
昭和45年10月11日〜15日 岩手県盛岡市
準々決勝 全大阪 10−3 全広島
準決勝 全大阪 7−4 新浜市商(愛媛)
決勝 全大阪 9−4 岐阜選抜
服部(旧姓石黒)和子さん(高23期)は国体の大阪高校選抜に選ばれ、第25回盛岡国体で活躍した 名ゴールキーパー 強いシュートをあざやかに防ぐ 盛岡市の大通りにぶらさげられていた大会旗を貰ってチームメイトに寄せ書きをしてもらったという。
45期生卒業アルバムより 前列左から3番目は橋詰さん |
この試合に勝って中央大会に進む
平成16年春の女子ハンドボール部員