2005/08/06
追記 2011/08/01
追記 2015/06/05
昭和20年6月7日豊中中学から勤労学徒として三国航空機材株式会社に出動中、B29の爆撃を受けて亡くなった方々(宮川馨先生・伊東一穂君・太田慶治君・北之防修治君・佐藤俊郎君・田中明君・垂谷嗣夫君・中野博明君・松本旬平君、いずれも中20回生)及び、昭和20年8月14日に環状線京橋駅で被爆死された近藤廣昭君(中20回生)を悼み、昭和49年6月2日に豊中市岡上の町(国道176号、岡上の町交差点東側)の墓地(豊中二大字共有墓地)に建立された「憶念」の碑(写真)です。 この他にも豊中中学校生6名が空爆の犠牲となっている。 6月7日には、道家照元君(中23回生) が第一航空で、岸本真弥君(中22回生) ・黒田洋平君(中25回生)・鳴川博君(中25回生) が自宅で、6月15日に伊藤春雄君(中22回生)が自宅で、8月14日に、高井重信君(中22回生)が自宅で爆死された。先生を含め16名の犠牲者を出したのは府下中学校の中では最大である。 詳しい経緯はこちらをご覧下さい(ここをクリック) 2016/06/03 なお豊陵資料室には三国航空機の近くに投下された爆弾の破片を展示しており、また中学20回生が同級生を偲んで刊行された、大阪府立豊中中学校戦争体験の記録「憶念の詩」(写真)も保存しています。一度ご覧ください。 2015年(戦後70年)6月5日、雨の中庭、憶念のプレート |