展示ケースから@ 豊陵資料室 __________
通知簿と入学願書
昭和24年の通知簿は20×10センチで2つ折り、質の悪い薄手の用紙にガリ版刷り、成績は優良可。戦後の物不足の証明である。
豊高紛争時代直前の昭和43年の分は約40×9センチの横長で2つ折り、40点未満には赤線が引かれている。そして注目すべきは全学年の席次の記入、進学校指向の1つの現れか(紛争以降は姿を消した)。
しかしこの書類で注目したいのは族称記入欄(士族・平民等を記入す)。族称については中学14回の卒業証書まで氏名の右上に記されていた(この証書も展示されている)。
さらに現代人の眼から見て奇異にすら感じるのが次の文である。「右ハ今般御校第一学年ニ入学志願ニツキ御考査ノ上入学許可相成度御願候也」。戦前の公文書はいわゆる候文でごく当たり前のことであったが、同じく展示資料の中の母の会による運動会当日の食券申込書にも「領収到候」とあった。展示資料はその時代、時代を如実に示していると言えよう。