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サッカー展 西側展示風景

東側展示風景

サッカー部の歴史と戦績
【蹴球部⇒サッカー部】
◎大正時代
 大正時代10年12月20日 創部(水泳部に続いて2番目の創部)
       11年04月20日 初の対外試合:1年生だけのチームのため生野中学に大敗
       15年05月15日 初の公式大会に参加(池田師範主催関西中等学校蹴球大会)
                   豊中中学 0−3 奈良師範
           06月18日 初勝利 2−0 京阪商業(練習試合)
◎昭和時代(豊中中学時代)
 昭和10年           豊中中等学校リーグ戦3位の記録があるが、リーグのレベル
                   不明で大阪府中等学校の中でランクが判らない
                   この他特筆するような戦績なし
 異色の記録としては大阪第八聨隊(軍隊)や阪急電鉄との練習試合がある
◎昭和時代(豊中高校時代)
  サッカー部として復活するも部員は高3期からが主力
  昭和36年頃までは部員数も少なく部活動も低調
◎第一次開花期
  昭和37年度入学生(高17期)に大阪中学大会優勝経験者を始めとする人材が集まる
            同年サッカー指導者として梅本修平先生が新任教諭として着任
 昭和38年度 国体大阪予選  準々決勝進出 
    全国高校サッカー大阪予選 準決勝進出 両大会共に工大付属高に苦杯
 昭和39年度 大阪高校サッカー新人大会 決勝進出     明星高に敗れる 
◎第二次開花期
 昭和48年度 近畿大会大阪予選        4位
 昭和49年度 高校総体大阪予選上位リーグ 4位
           全国高校大阪予選中央トーナメント
                   1回戦 豊中高 6−0 寝屋川高
                   2回戦 豊中高 3−2 和泉高
                    3回戦 初芝高 1−0 豊中高・・・・・初芝高は全国大会出場
  昭和50年度 近畿大会大阪予選(寝屋川・泉北・吹田を破る)優勝・・・・・近畿大会出場
 (昭和50年3月)近畿大会      3位 2回戦       豊中高 5−0 県芦屋高(兵庫)
         開会式選手宣誓       準々決勝     豊中高 2−0 明星高(大阪)
         豊中高藤井良一主将    準決勝       京都商高 2−0 豊中高
            《京都商高にはJリーグ福岡アビスパ監督の川勝良一氏がいた》
  昭和51年OB会結成総会 元旦初蹴り開始
  昭和50年度優秀選手(高体連選出) 藤井良一君・斉原啓全君(共に高28期)
◎第三回開花期
      (昭和50年1〜2月)近畿大会大阪予選 優勝・・・・・近畿大会出場
      (昭和50年3月)近畿大会     1回戦 ○那珂高 2−2 豊中高  (PK 6−5)
  年間優秀選手  昭和54年度 野元誠二君(高32期)
              昭和55年度 大澤徹也君(高33期)
  国体出場者    昭和55年     同上
              昭和58年   塚本  英君(高36期)
              平成04年   野元誠二君《コーチ》
              平成05年     同上

昭和10年度蹴球部員


中列右から3人目は38年間サッカー部顧問を続けられた斎藤統三郎先生

部員の1年間の回顧文(校友会誌より)

 玉砕主義を持って突進したが、満足すべき戦果を得ず、誠に汗顔に耐えぬ。

豊中中学当時の蹴球部練習の一駒

左側 練習を見守る斉藤統三郎先生

豊高サッカー部第一次開花期の先駆者と云われる
                        高17期のサッカー部員



後列左端の斎藤統三郎先生はこの時顧問歴37年 上部、昭和10年の写真に比べると白髪が目立つ

後列左から 斉藤先生 多田Q 石川Q 泉Q 増山Q 大庭Q 梅本先生
中列左から     林Q   大西P 西P 半田Q   片山P
前列左から 前野P  宮地P   吉田P 土井P 北沢P
右端枠内は                    正木憲子名マネージャー 

サッカー部員の作成した「文集」 ハーフタイム6号

          1969(昭和44)年1月作成

       下の斎藤統三郎先生の寄稿文を抜粋
       下の鹿子木 潔氏(高21期)の寄稿文を抜粋

豊高サッカー部は17期生から開花した

写真下部のタイトルをクリックすると細部がご覧になれます

ハーフタイムのサンプル画像
昭和38年度サッカー部戦績 高17期生同窓会誌「悠々遊子」
に記載されたサッカー部部誌の記事より抜粋
HALF TIME復刊号 1977.12.10 OB会
斉藤統三郎先生寄稿文
「タッチライン」

鹿子木潔氏(高21期)寄稿文
「或る三年生の記録」
HALF TIME 第2号 1978.12.22

1975(昭和50)年 初めて近畿大会に出場

開会式では本校藤井良二主将選手宣誓

3位入賞という快挙を成し遂げた。

なお、準決勝で対戦した京都商業には、Jリーグ大分トリニータで監督を勤めた川勝氏がいた。

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活動するOB会

サッカー部のOB会は1976(昭和51)年元旦よりスタートした。
OB会チームの活動はこれ以来続いている。
サッカー部の鮮やかな紫色は代々引継がれるうちに色褪せてしまったが、
OBチームは伝統を重んじてこのユニフォームを誇りをもって着用している。   
           高19期 関沢 愛 氏提供
画像下部の青色下線引きの文字はクリックすると相当する画像の拡大をご覧になれます

「豊中高校サッカー部OB会」会則 (案) 「'76年度の企画方針」 (案)
「OB会ニュース No.2」 OB会名簿 1975年4月現在

1979(昭和54)年 2度目の近畿大会出場

この時の主将は現在本校生活指導部長 野元誠二先生である

第31回近畿高等学校サッカー
選手権大会 1979年 京都
開会式 及び 大会結果 開会式 入場行進 
旗手は野元主将
大会プログラム 豊中高校 選手プロファイル vs 那賀高戦  ボールを
キープする当時の野元先生

栄光のサッカー部員

大阪高体連サッカー部から年間優秀選手に選ばれた豊高生
              昭和54(1979)年度  高32期  野元誠二君
              昭和55(1980)年度  高33期  大澤徹也君
国体大阪府チームに選ばれた豊高生
              昭和55(1980)年度  高33期  大澤徹也君
              昭和58(1983)年度  高36期  塚本  英君
国体大阪府チーム・コーチに選ばれた豊高卒業生
              平成04(1992)年度         野元誠二君
              平成05(1993)年度         野元誠二君

      野元誠二君の学生時代と現在        大澤徹也君  塚本 英君

現役サッカー部員