校歌を歌うとき、それぞれの感動がよぎる。
卒業式、対外試合に勝ったとき・・・。 やがてそれは歳月とともに青春の思い出につながり、同窓会の締めくくりでも歌われる。
本校の校歌が北原白秋・山田耕筰両氏の作品としてお披露目されたのは、いまから70年前の1936年(昭和11)1月17日。 作曲者・山田耕筰氏が来校のうえ生徒たちに指導された。
作曲者自身が「よく出来た曲だ」と言われたこの校歌は、敗戦後の世情・教育改革の中で「歌詞の一部が時代にふさわしくない」という理由で「廃止」の運命にさらされた。
この名曲を失うのには忍びない、と立ち上がったのは発足間もない新制高校の先輩たちだった。 幾多の変遷を経て1956年(昭和30)年9月、歌詞の一部を入れ替えて現在の校歌が甦ってから50年を経過した。
校歌の歴史は、旧制中学校から新制高校への歴史の伝承でもあった。
この展示会には、他府県の高校で本校と同じ白秋・耕筰の作品を歌い続けている学校をも紹介した。
校歌という題材が、単なる「ノスタルジー」でなく、明日への力強いエネルギーの源泉を求める企画であることを感じていただければ幸いである。
2006年3月1日
豊陵資料室
明治32年伝習館中学2年生の時の同村出身者の集まり。 中列右から2人目が白秋 | |
大正12年 小田原・天神山の自宅付近にて 左は長男陸太郎氏 |
白秋自筆の「お話・日本の童謡」口絵
国語科
牧 邦雄先生
在任1926年6月〜1962年 3月