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豊陵資料室だより 第16号 09年秋の号

父・斉藤統三郎とサッカー
 サッカー部の特別展を見て  高校3期 斉藤保夫

 一昨年父の23回忌を機に、遺品の中の豊中中学・高校関連の資料や写真などを整理して資料室に寄贈しましたが、近々特別展示でサッカー部展示の際に使わせていただくとのことでした。 
 今年になって友人の連絡やホームページで特別展示されていると知り、仏眼寺の墓に報告を済ませたあと豊高資料室を訪れ、斉藤省三様・浅井様のご案内でサッカー部の展示を見せていただいた。

 寄贈した写真を含め大正時代に蹴球部として創部以来の写真や試合結果など展示され、懐かしく拝見しました。 父が38年もの永い間顧問をしていたとは初めて知りましたが、多くの父関連の写真や資料を展示いただいたことに感謝すると共に、その後の豊高サッカー部の活躍に敬意を表します。
 昭和の初め生前後は勿論、私の在校した戦後もサッカー部の話は殆ど口に出さなかった父でしたが、1960年代になり私の勤務する三菱重工サッカー部が活躍して正月の天皇杯など熱心に観戦の合間に、豊中時代の蹴球部の話をしてくれました。 広島高等師範時代から蹴球を始めたが脚が遅いのでいつもFBだったなど・・・。
 昨今のJリーグやワールドカップなど観てもらえないのが残念です。
 最後に、豊高サッカー部のますますの活躍と勝利を祈念しています。

バレーボール展で親子が対面(?)

 高62期バレーボール部主将の川西咲希さんが、豊陵資料室「バレーボール展」でお父さんと対面。 「毎日顔を合わせているけれど、ここで父を見るのはまた楽しい」と語る。
 お父さん川西一正さんは高35期。 府立高校大会で優勝、近畿大会出場を体験した豊高男子バレーボール部の中心選手の一人であった。 娘さんもバレーボールにというのは当然の成り行きか・・・。

男子バレーボール部OB会合宿

 男子バレーボール部39〜42期は8月15〜16日の2日間、恒例の「第15回炎の合宿」を開催した。
 今回は、少年の心と中年の身体を持ったOB15名プラス家族の総勢40名が貸切バスで兵庫県・養父市へ。 宿舎に着いた一行は休む間もなく体育館へ直行し、日頃の運動不足を顧ずバレーに熱中。 特に「敗者BBQ肉焼き係マッチ」と銘打った紅白戦は怒号と悲鳴が飛び交う中フルセットの大熱戦。 バレーの後は美味しい肉に舌鼓、しかし食後は太鼓腹とまるで「人間雅楽」状態。
 暴飲暴食暴運動で疲れ果てた面々は帰りのバスの中で元気に「ピーヒャラピーヒャラ」と合唱する我が子が、将来豊高バレー部で活躍する夢を見つつ帰途についたのだった。

戦中・戦後の貴重な歴史教科書など32冊
            泉武夫先生が資料室に寄贈

 昭和37年(1962)から19年間、本校で日本史を担当の泉武夫先生が、貴重な戦中・戦後の教科書など32冊を豊陵資料室に寄贈された。
 敗戦後、連合軍の指令により修身・地理とともに授業が停止されていた日本歴史について、昭和25年(1950)新しい史観で京都府教職員組合が刊行した
「日本の歩み」4巻(同氏が高校時代に使用)をはじめ、戦時中官製の大日本翼賛会によって国民教化・思想統一を図るために刊行された「翼賛壮年叢書」
4冊、文部省刊行「国体の本義」などが含まれている。 これらの本は現在散逸しているため、ほとんど見ることが出来ない文献。 資料室ではどのような形で公開するか検討したい、としている。


正門前の「たこ焼き屋」さんが記念に、と

 15年間、クラブ関係の生徒を中心に親しまれた正門前の「たこ焼屋さん」が今年店を閉めた。
 店主・関トシ子さんの持つ気さくな雰囲気が生徒にとっては心の拠り所にもなっていたようだ。
 関さんは閉店に当たって「豊高で育ち、成長して再び母校を訪ねてくる生徒から私自身も学ばせて頂いた」と寄付金と共に生徒の豊高生活を題材にした写真を豊陵資料室に寄せられた。 こうした寄贈などが増えていることは有難いことである。

   

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