豊陵資料室だよりD__________
第5号 2004年春の号
「クラブ特別展」は夏まで延長
昨年12月に店開きをした「年1回クラブ特別展」は当初今年3月末で終了の予定であっ
たが、資料室に寄せられる声もあり、また、せっかく各クラブの協力も得て貴重な物品
も集められているので、期間を夏まで延長することになり学校側の了解もとりつけた。
これにより一人でも多くの卒業生が、母校に思いを寄せる場を提供することが出来れば
と考えている。
また、「クラブ特別展」は単発的企画に終わる性格のものではなく、次々とクラブを取
り上げ、該当クラブを通じて卒業生の結集の一助とし、加えて豊陵会の活性化を図りた
いという狙いがあるので、次年度からも継続したいと考えている。
2月の資料室部会で検討の結果今年12月からの「年2回クラブ特別展」では「新聞クラ
ブ」を取り上げる事が決定した。戦後の学校史解明の最重要素としての価値を有する2
08号まで続いた「豊陵新聞」は現在部員が集まらず休眠中であるが、これを機会に「
豊陵新聞」の復活を期待する向きもある。この他、野球、硬式庭球、送球、剣道のよう
にかつて栄光の時代を経験したクラブ、戦後発生して堅実な成長を示している軟式庭球
や薙刀、ユニークな新興クラブのかるた等が候補に挙がっているが、該当クラブの意向
を尊重した上での話し合いの結果決定のはこびになる。
資料室見学については、従前の公開日以外の日についても事前連絡があれば学校側に支
障のない限り便宜を図ることも検討している。
三クラブ各々の味わい
<栄光、草分けの誇りそして若い情熱> 第一回クラブ特別展
前号で予告した「第一回クラブ特別展」は六号館で更に一教室を借り受けて12月1日に
幕を開けた。既報通りの三部であるが、その選定は資料室部の基本方針に従っている。
戦時中の寵児の一つと言われた「滑空部」は先人のかつての栄光を再現した。戦争直後
、アメリカ軍政部の強い要望により日本で初めて創設されたアメリカンフットボールは
、ある意味では戦後スポーツの花形であり、華やかな活動は今も続いている。創設に当
たっての隘路を生徒の力で克服した新しく若々しい「吹奏楽」は、音楽に夢を託した現
役生徒が新しい伝統を引き継いでいる。豊陵八十余年の歴史をこうした三分野のクラブ
に今回は集約した。
各クラブのコーナーの一部を紹介する。「滑空部」は、この展示に積極的な協力を惜し
まなかった中18回故杉野博氏の提供を受けた設計図から豊中中学一号機(豊中中学には三
機のグライダーがあった)の模型が出来上がった。昭和15年の明治神宮国民体育大会に大
阪代表として出場した豊中中学の記録も一部展示した。グライダーはどのようにして飛
ばせるか、現役の二年生宮尾明さんの描いた現代風の絵はほほえましい。
「タッチフットボール」の名前でスタートした「アメフト」の展示では日本の中学草分
けの誇りを、指導者で今なお元気でおられるピーター岡田中尉の写真や創設期のヒーロ
ー、中23回故徳永義雄氏の当時の日記から窺い知ることが出来る。日航機事故の犠牲者
になった二人の同窓生のアメフトに寄せる熱い心が上村(高4)小宮(高29)杯として紹介
されているのも悲しい歴史である。
服部緑地など練習場所を求め、同好会ゆえに財政援助も得られなかったので生徒がアル
バイトで購入したというホルンの写真も今は思い出という「吹奏楽」のコーナーは若い
エネルギーが溢れている。卒業後も楽器とは離れられない若いOB・OGの活躍ぶりも
一角を飾った。
これらの三クラブ、OB会の協力、現役生徒の協力が今回の「特別展」を支えてくれた
。八十歳に手が届く年代の滑空部員の中には永年温存していた貴重品を役に立つならと
提供してくれた方もいたが、「クラブ展」開催に当たってクラブの縦の組織の重要性を
感じた。先輩と後輩、直接の接点はないにしても、そして日頃は強い結束をあまりを感
じなくても、一つの事象に共通の動きをとることがクラブの持つ長所であると改めて想
いを新たにした。
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