豊陵資料室だよりB__________
第3号 2003年春の号
学校と提携して更に活動の活発化を 見学者も漸次増加−現状と展望
平成13年9月22日豊陵資料室誕生以来、
来られた方は来室記帳簿では平成15午2月末現在で263名、記帳されなかった方やPTA、 外部の方、加えて授業等で来室した生徒を合わせると400名以上の数は算出される。
少しずつではあるが資料室が豊中高校の中に定着しつつあると考えられる。
来室者の中には中学22回や高校2期のように資料室見学を兼ねて 豊中近辺に同窓会会場を設定、
また遠隔地の方が来阪ついでに足を仲ばしというケースもある。
一方、土日の開室を望む声もあるので、この要望に応じる体制は整えたいと考えている。
さらに資料室自体も積極的な対応を目論んでいる。
2月15日には学校側の主催により浅井資料室部員が展示資料を活用して
「戦前戦中における豊中の教育史」と題して公開講座を行なった。
宣伝方法に問題もあって多くの方の参加こそ得られなかったが
資料室としてはあらゆる機会を利用して、資料室の存在を昂めるべく努めたいと考えているし、
学校側も講座の内容を現役生徒の学習にも活用させ豊中高校の成長過程を学ばせたい意向もあるときく。
学校・豊陵会が提携して資料室の啓発を促がすことによって
豊陵の文化遺産は永く存続される筈である。
●保存資料は干五百点を超える
次に「豊陵資料室」の現状と展望について報告する。
開設以来、多数の会員の協力と資料室部員の努力によって蒐集された資料数は
千五百点に達しようとしており、しかも今もなお資料捉供の協力が続いている。
それだけに、資料室としては、貴重な資料の保作・管理について
常に心を配り丹念な整理作業に全精力を傾けているが、
同時にマンネリ化防止のため展示品の差替えや新企画等、資料室の質的向上を目指している。
●求めたいボランティア
しかし問題点もある。第一は現資料室担当者の年齢層の高さである。
縁の下の地味な仕事であり、しかもボランティア的発想の上に立つ根気のいる仕事である。
後継者を常に意識はしているが現在のところ目途は立っていない。
週に一回程度或いは10日に一回程度でも構わないから応援して下さる人はいないものか、とも思う。
●資金不足の悩み
第二は資料室の拡張と運営経費の充足が挙げられる。
拡張に関しては将来的に解決する可能性を予測出来るが、
経費に関しては現在豊陵会からの年間30万円だけが定期収入である。
今後の充実した進展計画を具休化するにはあまりにも心もとないといわざるを得ない。
昨年度は同期会に際して拠金を集めて頂いたり、
個人的な好意に甘えた寄付金等 (豊陵会宛資料室基金としてという指定をされた分も含む)約35万円を活用することが出来たが、
今年度に関してはそうした見通しは現在立っていない。
苦肉の策で資料室にドネーションボックスをおいたが、
宣伝しないせいもあってあまり活かされていない。
こうした現状をご理解の上、豊陵会々員の方々の支援を敢えてお願いする次第である。
●百年史の資料発掘に意欲
資料室で取組んでいる仕事はもう一つある。それは学校史の再検討である。
豊中高校は18年後には百周年を迎える。
その時はおそらく立派な記念誌が刊行されるであろう。
そのために今調べておかなければ消えてしまう史実も数多くある。
また、百年史だからこそ公表出来るという事実もあるだろう。
そこで、百年史の編集者に役立つ記録を遺しておくことも重要な課題と考える。
資料室は百周年に備えるべく、図書館・公文書館等で資料蒐集をし、
他の高校等の関連記録を調査したりもしている。
会員諸氏もそれぞれの在学中にあった事柄の中でこれは学校記録として保存すべきと思われることがあればお知らせ願いたい。
●地域豊中の文化拠点を目指す
最後に「豊陵資料室」の今後の在り方について一言触れておきたい。
豊陵資料室は単に豊中高校内部の存在だけに留めおくのではなく、
広い視野から豊中における地域文化の一端を担う施設でありたいと願っている。
そのために戦前からの学校である桜塚高校・梅花高校との捉携も段階的に進めており、
一方大阪府最古の伝統校北野高校とも同校が今年資料室開設に関連して友交関係が密接になった。
この他、豊中市の広報広聴課やケーブルテレビとの接点も模索、
より一層の多角的な進展を期している。
●現在企画中の構想
1、「豊陵クラブ展」は今秋を予定しており、二三の候補クラブが浮かんでいるが、
戦前の「滑空部」については目途がついた。
新旧の各クラブを順次取り上げる予定である。
2、展示資料の一部入れ替えを検討中。
3、中学1回生以来の全卒業アルバムを白由に観ることが出来るコーナーの設置。
4、希望される方には山田耕筰氏自身が歌う校歌が聞けるような設備。
5、卒業生の著作の積極的蒐集
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