大正末期から昭和初頭にかけて、阪急電鉄は沿線開発計画の一環として豊中や池田に中高級住宅を誘致した。 大企業の社宅もこの中に繰り込まれた。
こうした住居から豊中中学へ通学する生徒も多数いた。 昭和8年度の「父兄会委員名簿」には後年政財界でも有名な名前が多々見られる。 副委員長土田伊右衛門氏は大阪市会議長、堀新氏は関西電力会長、そして高崎達之助氏は東洋製罐創業者であり戦後は通商産業大臣として日中貿易の立役者になった。 他にも著名人はあまた。(阪急電鉄創始者小林一三氏の名も大正期の名簿に見える)豊中中学校の生徒の穏やかな体質がこれから垣間見ることが出来る。
その中で特異な存在は和田久一氏。 同氏は関西喜劇界の大御所曾我廼家五郎氏である。 豊中中学をご子息が卒業したのを機に父兄会が主催し「和田久一君令息卒業謝恩記念寄付公演」(大手前国民会館にて昼夜二本立てで)を挙行。 豊中中学10周年記念行事の大きな経済的後ろ盾となった。
(写真はそのときのプログラム表紙)