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展示ケースからI

一枚の通知書の悲劇

 展示ケースの中には大戦中に学校が対応したというよりも対応せざるを得なかった数点の文書がある。

 その中から「勤労動員実施についての通知」を採り上げたい。

 B5判1枚、手書きの縦書きガリ版刷り、昭和19(1944)年7月11日付で発信は学校長元津千尋、宛先は保護者殿。
 文面は次の通り『決戦の現段階に即応し勤労即教育の本旨に徹し生産と教育とを一体化し其の総力を戦力増強に結集せしむべき「学徒勤労動員実施要綱」に依り既に当府教学課より出動命令を受け候につき本校は左記要項により七月十四日より学徒勤労動員を実施致すことに決定仕候、就いては御子弟の参加に御承認御協力を得たく此段及御通知候也』
 そして本校割当工場名、監督責任教師名が記されて4年生・5年生に手渡された(3年生には同じものが9月になって配布された)。

 昭和19年7月はサイパン島が陥落し東条内閣が責任を負って退陣、戦争の形勢が極めて悪化した時期である。 若い労働者の多くは戦場へ送られ、その穴埋めに男女中等学校の生徒が戦争協力の名のもとに軍需工場へ駆り出された。 学校に残った低学年の生徒にも松根掘りを始めとする各種の勤労奉仕が課され正常な授業形態をとることが難しくなっていた。

このハンピラの通知書は翌20年には豊陵史に刻まれる忌まわしい事件を引き起こす。 動員先工場で米軍空爆により命を落とした先生・生徒。
 戦争にまつわる悲劇は資料室の展示ケースの中にも遺されている。