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展示ケースからG

通知簿に見る歴史A


毎年形式が変わった通知簿 敗戦によって進駐軍の教育政策に振り回された日本の学校では、昭和の初期から続いていた通知表の形式が毎年のように変わった。昭和21年、サイズは前年までのほぼ半分になったが内容面では戦前の国体観念を引き摺ったまま、「国民科」が国語・歴史・地理を総括し、體操も「體練科」の中に位置づけられていた。「通知表」という名称が「学業成績表」と変更したのもこの年からである。しかし昭和22年になると戦後新教育への方向付けが表われてきた。歴史や地理などを引っ括めた「社会」という教科が生まれ、「體操」も「体育」と表現が変わった。サイズは前年より横幅が5センチ縮小され12×21センチになった。そして昭和23年新制高校が発足すると教科選択性が採用さえ国語・社会・体育以外はすべて選択教科として扱われたことが学業成績表に明記された。同時に今まで日本の教育の中にはなかった単位制度も採用され各教科成績欄の下に取得単位数が記入された。(注 高校卒業に必要な単位数は85単位、その中の38単位は必修教科である)なおサイズは前年と同じであったが紙質が非常に悪くなった。これは、戦後経済の困窮の一端ともいえる。(つづく)

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