展示ケースからF
通知簿に見る歴史@
10点法で合否を表示 時代とともに変わった「体育」内容
今回は展示されている通知表を取り上げる。40余年間、本校の教壇に立っていた中学1回生奥田幾治郎先生の中学1年次通知表は「大阪府立第十三中学校」による発行である。それも「大阪府立」と「中学校」は活字印刷であるが「第十三」の文字は担任教諭の手書きである。大正十年創立第一年目は生野中学に間借り生活、しかも本校がどこに設立されるかが決まっていなかったため、通知表もこのような様式が採られたものであるが、数多い資料室の収蔵資料の中でも最古のものの一つであり、それだけに価値ある資料である。学科成績は10点法(数学のみ20点満点)、「體操(体操)」だけは甲乙丙評価になっている。また「身体検査」の項は尺貫法が使われ数字も漢数字で記さえている。ちなみに奥田先生の体位は身長四尺七寸、体重八貫四五○、胸囲ニ尺一寸三分である。縦横ほぼ20センチ四方、二つ折りの形式は昭和に入ってもほとんど変わらないが、中11回外山昇氏の通知表には「男生徒年齢別体格標準表」が記載さえている。この表によれば、昭和初期の中学4年生(現高校1年生)の平均身長は158センチ、体重50キロである。なお数字表記は漢数字から洋数字になっている。学科では「体操」の欄が「体操・教練・武道」に3分割されてそれぞれ10点法で成績が記入されている。戦時色が通知表にも現れてきたと言うべきか。外山氏の通知表では見ることはないが、いわゆる「欠点」(合格点未達)は赤ペンで点数が記されるか、点数の下に赤で横線が引かれ、この数が3科目以上あると成績の「及第」欄に「落」と記され、留年の憂き目に遭うことになっていたが、旧制中学時代は留年数は一学年につき10名前後が普通であった。(以下次号に続く)
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