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展示ケースからA

勤労動員


資料室の一隅に三八銃がずらりと立て掛けられた銃器庫の写真が ある。

旧制中学ではどこでも持っていたものではあるが…
この写真を見た現役3年生の女生徒が
「なぜこんな場所が校内にあったの か…」と不思議がった。

並んで展示されている毎年行なわれた府下中等学校連合軍事演習の写真にも
矢張り「なぜこんな行事が」と首をひねる。
戦争のない時代に育った現代の高校生にとっては想像を絶する世界である。


展示物の中から戦前の軍事色・戦時色あふれる記録の一部を紹介する。
1944(昭和19)年7月11日付『勤労動員についての保護者への通知』
((B5判・ガリ版刷り、わら半紙))の一節である。

「扨決戦の現段階に即応し勤労即教育の本旨に徹し生産と教育を一体化し
その総力を戦力増強に結集せしむべき『学徒勤労動員実施要綱』に 依り
當府教学課より出動命令を受け候につき本校は(中略)7月14日より
学徒通年動員を実施することに決定仕候」

「扨決戦の現段階に即応し勤労即教育の本旨に徹し生産と教育を一体化し
その総力を戦力増強に結集せしむべき『学徒勤労動員実施要綱』に 依り
當府教学課より出動命令を受け候につき本校は(中略)7月14日より
学徒通年動員を実施することに決定仕候」
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この保護者あての通知だけで3年生以上の生徒は学業を捨てて
数か所の軍需工場に送られたのである。そしてその中に配属工場が爆撃され
若い生命を失った教員・生徒もいる。悲劇を生んだ通知書と言うべきか。

この他、教育内容にも時代色を見ることができる。1942年の
校内模擬試験の英作問題文。

「大東亜戦争勃発以来我が家では不平は一切云わぬことにした。
暑いの寒いの物が足りないのと不平など云われた場合ではない。
兵士は生命を捨てて北はアリューシャン(列島)南はソロモン(群島)で戦っているではないか」


罫紙にペン書きの『空襲警報ニ対スル注意』(41年)、
グライダーを飛ばした軍国調豊かな『紀元二千六百年奉祝體育大会番組』並の解説文も
時代を示す資料としての価値は高いと考えられる。


(豊陵資料室・浅井由彦)