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豊陵資料室だよりH

第9号 06年春の号
第3回クラブ特別展アラカルト


「野球部」

甲子園は78年の昔豊富な野球人を輩出

 本校の前進豊中中学が甲子園に出場したのは昭和3年、今年で78年も前のことになる。かなり多くの人がこの事実を知らないのは無理もないことである。
ましてや事務室前の展示ケースの中にある野球部が獲得した名古屋新聞の名が刻まれた優勝カップにつては殆どの人がその存在すら気がつかない。このカップは昭和3年4月、名古屋新聞主催の「東西選抜中等学校野球大会」に選ばれた豊中中学が優勝して獲得したものである。
豊中中学はこの優勝の余勢をかって、その年の夏の甲子園に出場した。学校創立8年目の快挙であった。しかし、豊中中学としてはその後あまり振るわず、昭和7年と戦後の昭和22年の準決勝進出が注目される戦績といえる。

それでも中学時代の通算成績は39勝24負、府立中学の中では有力校の部類に属していた。ところが高校になってからの勝率はあまり芳しいとは言えず、通産80勝がなかなか実現しない。

それでも、個々にみると楽しめる年もあった。
昭和25年・50年・55年はベスト16まで勝ち進んでいる。
また、昭和54年は4回戦に進出し、牛島・香川を擁する浪商に敗れたが、エース牛島を温存した浪商と中盤まで互角に戦って牛島を引っ張り出したが、ドカベン香川にホームランを打たれて惜敗した。この豊中の健闘は語り草になったと伝えられている。
このほか昭和24年の秋季大会では決勝戦で惜しくも敗れている。
この年の近畿大会出場はなぜか大阪代表は優勝校三国丘高校だけ。豊中高校は春の選抜大会のチャンスを逃したといえる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

それらの戦績は別にしても野球部に関わる人材は豊富である。
東大の投手として法政から3勝を挙げた三笠洋一さん(中23回)は、その後全国大会7連覇を果たした新日鉄釜石のラグビー部長を務めた。
この他、東大では野球部主将として活躍した川上寛さん(高13期)、現在豊陵資料室部の一員である。

昭和22年準優勝まで進出した時の中堅手山下達夫さん(中23回)は阪急ブレーブスが初めてリーグ優勝をした昭和42年にマネージャーを務めていた。

中学2年からレギュラー内野手として豊中中学ナインをリードした中西悠四三(中18回)は審判員として永年甲子園でも活躍した。

異色の選手は塚本浩二さん(高52期)神戸大学時代公式戦21勝を挙げて卒業時には学生野球連盟より表彰を受け、卒業後2年間社会人野球に身を投じたが、さらに野球人生を全うしたく、今春、年齢制限ぎりぎりで四国アイランドリーグに合格、香川オリーブガイナーズの一員としての生活をスタートさせプロへの最後の挑戦をするという。

野球部展は豊高のユニホームを展示し、大会歌なども聞けるようにして野球ムードを高めたいと考えている。
また、元顧問の小川修一先生から預かった、今はなくなった日生球場の土を展示するが、日生球場が幕開けをした昭和26年に、初めて行われた高校野球が豊中高校と勝山高校の試合であったという因縁のあることも紹介したい。


(高2期大嶋善樹君描く似顔絵 片木コーチを囲む高2期〜高4期野球部の面々)

「陸上部」

インターハイ出場は延べ4回 駅伝で活躍の時代も

 特別展「陸上部」を飾る資料を代表するものとしては本校唯ひとりの2メートルジャンパー堀本悟史さん(高41期)と並んで1年と時、千5百メートル障害で大会新記録で優勝した冨迫章一さん(高32期)を挙げるべきであろう。
この2人の時代は実力のある部員が多く集まり、互いにその力を競い合った時代ともいえる。

豊高最大の増学級時代の高41期当時は部員も1P4a-3学年30名を超え男女ともに優秀な選手が多く、北摂地区の公立高校の中では群を抜いていた。


また昭和50年代初頭、初めて男子4百メートルリレーで入賞した頃から全体にレベルアップされ、高32期の頃には長距離に卓越した選手が揃い、府下の駅伝競走で有力視されていた。
男子に刺激された女子でも、インターハイ出場の濱生和加子さん(高31期)が生まれている。
注=リレーメンバーは林卓生さん(高29期)、浅野耕吉さん(高28期)、西沢隆さん(高28期)、藤本佳司さん(高29期) 

陸上部が異彩をはなったのは平成初期、高44期は女子の数が男子部員を上回った珍しい学年であった。
実力も備えた女子は短距離と跳躍に頭角を表わした中原順子さんを筆頭に全体的な飛躍をみた。
負けじと男子では梶田実さんがインターハイに出場している。

一方、戦争直後は食料・物資ともに苦しい時代であったが、その難関を乗り越えて活躍した人もいる。現在とは記録の上では比較出来ないのは、技術的な変質に加えて、(例えば走高跳の背面跳)タータントラックの普及、スパイク等用具の発達が要因であるが、かっての記録を通じて戦前・戦中の人々の努力も感じてほしいものである。

時代の変遷といえば、今回の展示品の中に昭和23年の手書きガリ刷りのプログラムと駅伝大会要領がある。
印刷技術の発達した現代の人には想像できない、勝手の人の苦労を知ってほしいものであるがこれらを提供された高2期山之内種彦さんにはこの場を借りてお礼を申し上げたい。
戦前・戦中の記録は大阪陸上競技協会でも十分に調べることが不可能であり、本校に保存されていた豊中中学時代の「校友会誌」等をもとにしての調査であった。
したがって今回の展示に際し納得のいく資料の提示が出来なかったことは残念であるが、期間中古い記録等で教示願えることがあればと考えている。


(シーズンオフも練習に励む陸上部)


(豊陵資料室・浅井由彦)